濵岡尚志さん/安房城跡発掘調査担当
中世の屋久島が息づく森。安房城跡発掘調査
安房川の中流。こんもりとした万緑の中に、中世・戦乱の時代の山城跡地がある。
「安房城跡のことなら、誰よりも詳しく話せます」
屋久島町教育委員会社会教育課で、『安房城跡発掘調査』を担当するのは、入庁4年目の濵岡尚志さん。屋久島高校を卒業後、大学3年生より考古学を学び、卒業後、帰島した。
発掘スタート。分からないことを乗り越えて
安房城発掘調査は、平成31年4月1日に本格的な調査がスタート。濵岡さんは、入庁2年目にしてその担当に就くことになった。大学で考古学を学んでいたとはいえ、主導的な立場で発掘調査を行うのは初めてだったため、当初は戸惑ったという。
「考古学を勉強してはいましたが、いざ始まると分からないことばかりでした。発掘作業員を募集することから始まり、必要な機械を島外から取り寄せたり。事務手続きが分からなくて、上司に助けられることも。技術的な面は、県の専門家の方々に何度も足を運んでいただいて助けてもらいました」
1200点もの出土品は県内でも珍しい
現在の安房城跡地に山城があったのは、15.6世紀の戦国時代だったと推定される。しかし、実際に出土するのは、12世紀後半〜13世紀初頭の中国の陶磁器などがほとんど。実は、屋久島の中世の様子が書かれた古文書や文献などがほとんど残っていないため、分からないことも多いという。
では何故、山城があったと考えられるのか?それは、周りが崖や川に囲まれた急峻な高台にあり、敵が侵入してきたときの防壁となる土塁と堀切が確認されていることから、立地的にも外部との遮断ができ、”見張り台”としての役割があったのではないかと考察されるからだという。
「山城があったと考えられる戦国時代より前の安房は、薩摩だけでなく琉球や中国(宋)などとの交易の中継地点だったとも考えられます。屋久島は海上から見ても山々が高く目立っていたんじゃないでしょうか。特に安房は大きい川もあり、船が立ち寄りやすかったのかもしれません。遺物のほとんどが12世紀後半〜13世紀初頭の白磁や石鍋など、当時としては大変高価で価値のあるものが多いんです。逆に一般庶民が使う安価なものは土師器一点のみ。現在の発掘範囲では、煮炊跡や住居跡など、明確な生活の痕は見つかっていません。今回は、開発のための保存調査だったので、機会があれば周辺の調査もしてみたいですね」
出土品を整理すると、その年代幅は中世前期(約800年ぐらい前)の、50年程度の期間であることが分かった。その総数は1200点にも上り、県内でもこのような短い年代幅でこれほどの遺物量は珍しいという。
島の子どもたちに分かりやすくお伝えしたい。
小さい頃から、歴史や地理の授業などが大好きだったという濵岡さん。
昨年は学校に行き、子どもたちに島の歴史や文化の話をしたことも。
「遺跡や遺物は地域の色があり、それらを扱う考古学は‘‘郷土教育‘‘のひとつだと思っています。教科書にも載っていない郷土史はテストでは役に立たないかもしれません。しかしその大切さは島を出たときにきっと分かると思います。これは僕の経験ですが、進学で島外に出て初めて自分の故郷について何も語れないということに気が付きました。
将来子どもたちが島を離れたとき、自らの故郷について誇りを持って語れるよう、考古学をとおして少しでもその手助けをすることが僕の役目だと思っています。」
屋久島には、90を超える遺跡があり、そのほとんどが沿岸部に分布し、島民の生活のすぐ近くにある。
安房城の調査が終了したら、次は楠川城跡地の調査をスタートさせる。
(取材:Written by 散歩亭 緒方麗)
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