屋久島と利尻島は幻の姉妹都市?
北海道の最北に位置する『利尻島』と『礼文島』。
これらの島と私たちが暮らす『屋久島』そして『種子島』には、交流関係があったことをご存じだろうか。
このことは、私がプライベートで2023年6月に利尻島を訪れた時に知った。
その後屋久島に戻ってからも取材を続け、この記事を書くに至った。
共通点の多い二つの島々
北海道へ出発する前、地図を見てあることに気付いた。
行ったことのない場所なのに、どこかで見たことのあるような気がした。
そう、屋久島と利尻島は、大きさこそ違えど、島の形がよく似ているのだ。
更には、隣の種子島と礼文島も形が似ていて、まるで合わせ鏡のようだ。
そのほか、両方の島が国立公園であることや、島の8割が国有林に指定されていること、それぞれの島が日本百名山であることや、名水百選に選ばれているなど、数多くの共通点があるのだ。
屋久島と利尻島の交流の歴史
利尻島に着いて、出会う人に屋久島から来たと伝えると、日本の北と南で遠く離れているのにも関わらず、何人もの人が屋久島へ行ったことがあるというのだ。
地元の居酒屋には屋久島の焼酎『三岳』が置いてあり、利尻の人たちにとって屋久島はとても好印象といった感じであった。
話を詳しく聞いていくと、両島は昔姉妹都市の関係にあったと住民の方が教えてくれた。
だがおかしいことに、インターネットで調べても、屋久島と利尻島の姉妹都市について書かれた文章が殆ど見つからない。
私は探究心をくすぐられ、帰ってきてから利尻島と屋久島との関係について調べた。
そして、ついにこの交流を始めるキッカケを作った発起人と出会い、話を伺うことが出来たのだ。
屋久島の一人の住民から始まった幻の姉妹都市関係
以前役場に勤め、現在は登山ガイドとして現役で活動している日高順一さん。
昭和61年に屋久島と利尻島に共通点が多いところに気付き、交流を始めたそう。
日高さんのインタビュー動画、是非見ていただきたい。
利尻島と屋久島は、これまで高校生の交換留学やマラソン、昆布漁師とたんかん農家の出稼ぎ支援、漁師同士の交流や物産展の開催など、様々な形で交流してきたそうだ。
幻となってしまった大きな理由の一つとしては、当時屋久島も利尻島も島内に2つの行政区があり(利尻島は現在も利尻町と利尻富士町に分かれている)行政と行政が結びつく姉妹都市には認められなかった。
公式な姉妹都市ではないにしろ、30年以上交流があったことは事実であり、それに関わった人達の体験や思い出、言葉が、当時生まれてもいなかった一人の人間に伝わり、この記事が出来上がった。なんともロマンのある話ではないだろうか。
利尻富士町(当時の東利尻町)は近々町として屋久島に人を派遣し、交流の再会を予定しているそうだ。
この記事が、屋久島に住む人の目に入り、利尻の人が屋久島へ訪れた時には暖かく受け入れて欲しいと願う。