中島亮作さん/“コテージ森のこかげ”オーナー
有名テーマパーク勤務から自作のコテージ経営へ。
屋久島空港を出て南へ車を10分ほど走らせると、海手側に「森のこかげ MORINO KOKAGE THIS WAY」の看板が立っている。指示板通り路地を曲がると、拓かれた森の中まるで小さなテーマパークのような可愛らしいコテージが広がっていた。
“コテージ森のこかげ”オーナーの中島亮作さんは、屋久島出身の48歳。屋久島高校を卒業後進学のため上京したが、いわゆる日本の縦社会が苦手だったとの理由から「外資系の会社で働きたい」と、自費でアメリカやオーストラリアなどに語学留学した。帰国後、留学経験があるだけでは外資系の就職先が決まらないという現実を突き付けられ、働きながらITや英語など3つの専門学校に通い、当時不足していた“英語ができるエンジニア”を目指す。必死の勉強の甲斐あり、IT系の専門資格、TOIEC Aランク、英検準1級を取得し、ようやく外資系企業にネットワーク エンジニアとして正社員雇用された。
「田舎モンで高卒、経験もない僕が外資系企業で働くためには、とにかく必死で勉強しました。でも資格は取れたが経験がない。だから人がやりたがらないきつい仕事をかって出て、いろいろな経験を積ませてもらったんです」
それから複数の外資系ITプロジェクトに参加し、キャリアアップしていったという。しかし外資系企業は結果を出せなければすぐにクビになるためリスクも高い。中島さんは、副業として故郷屋久島に土地を買いコテージを建てることを決めた。有休を取っては島へ帰り、鬱蒼とした森を弟と2人で開墾し、骨組み以外の外装内装はほとんど自分の手で造ったという。そんなある日、中島さんに一本の電話が入った。なんとウォルト・ディズニー・ジャパンから、ITチームのスーパーバイザーとしての誘いだった。
その後、同社で働くことになり、エンジニアとして系列のテーマパークやホテルを回るうちに、次第にディズニーのデザインや建築物に心を奪われていった。
「ディズニーの心躍るデザインはもちろんのこと、全てにおいて手を抜かない姿勢など大きく影響を受けました」
実は東京時代からDIYに興味があり、趣味で勉強していたという中島さん。気が付けば島での建築、家具作り、モルタル造形の楽しさの方に興味が移っていった。そうして都会でのキャリアに終止符を打ち、40歳の時に奥様と2人で帰島した。
まるで白雪姫の小人が出てきそうなコテージ
現在は2人のお子さんにも恵まれ、自作のコテージは12棟に増え、その腕前はドゥーパ!DIY大賞メーカー賞(2017年)を受賞するほどに。
「これまで沢山の方々に助けて頂いたおかげで頑張ることができました。今は愛すべき家族ができ、しかも好きな“ものづくり”ができています。島に帰ってきて良かった」と語る中島さん。
“森のこかげ”は、海外からの宿泊客も多い。世界中を虜にするテーマパーク同様、中島さんのこだわりは国籍を超えてお客様の心を躍らせている。
(取材: Written by 散歩亭 緒方麗)