肥後尚樹さん/みんなの診療所

「離島医療の灯を消したくない」、屋久島出身の医師が引継ぐ診療所

屋久島空港近くの旧小瀬田診療所跡地にて、「離島医療の灯を消したくない」との思いを引き継ぎ、2018年に”みんなの診療所”が開院した。

肥後尚樹さん/みんなの診療所

“みんなの診療所”院長の肥後尚樹さんは、屋久島一湊集落出身の45歳。福岡市の病院勤務を経て、2年前に家族を連れて帰島した。小さい頃から、夢は医者か弁護士だったというが、大学は畑違いの工学部に入学。しかし、小さい頃の夢が捨て切れず、29歳で医学部へ入り直し、勉強の日々を過ごしたという。年を重ねるごとに入学が難しくなると言われる医学部だが、そんな困難を抱えてまでも医者を志した理由を聞いてみた。

肥後尚樹さん/みんなの診療所

「大学を卒業し、塾の講師として働いていたとき、ふと”この先、自分はどうなってるんだろう?昔は医者を目指してたけど、いまは‥、というような後悔を持ちながら生きる人生は嫌だな”との思いが込み上げてきました。そのとき、もう一度人生を巻き戻して頑張ってみようと、医者になる決心をしたんです」

離島だからこそ急性期の重要性を

離島医療の課題が山積みのなか、肥後さんは昔から急性期医療の重要性を強く感じていたという。急性期医療といえば、脳梗塞や心臓発作など緊急性を要する疾患が思い浮かぶ。そのため肥後さんは研修医時代から専門を脳神経外科に選択し、必ず屋久島へ帰り緊急性のある患者さんを1人でも多く救おうと心に決めていた。

肥後尚樹さん/みんなの診療所

「離島だと、緊急性のある疾患の場合、ヘリや飛行機が間に合わないことも少なくありません。早期に適切な処置ができれば、命が助かる確率は確実に上がります。また、患者さんの様々な事情に合わせて、徳洲会病院などと連携し、可能なオペ(手術)を島内でできるような体制を整えています」

地域再生に繋がる医療の役割りとは?

肥後さんは、生まれ育った一湊集落で、一時閉院されていた”一湊出張診療所”の医師も兼任している。そのおかげで、車の無い高齢者が気軽に検診や処方箋を受けられるようになった。診療所が再開すると過疎化に向かう集落の地域再生にも繋がることも目的の一つだと語る。

肥後尚樹さん/みんなの診療所

「小さい頃、両親と一湊の二つ浜に釣りに行き、夕日を見ながらお弁当を食べたことは僕の原風景なんです。いま故郷に恩返しできていることを嬉しく感じています。自分の家族を持ち、島で楽しく暮らせていることが、とても幸せですね」

子育てをしながら、診療所で看護師として手伝う奥様の存在はとても大きいと語る。「休日は、毎日忙しくしている妻を休ませたくて、食事を作ることもあります」と、主夫の顔も見せる肥後さんだが、その合間を縫って専門外の勉強することも多い。専門医が常駐している総合病院と違い、診療所の場合は1人での診察になるため、より総合的な知識が必要になるからだという。

肥後尚樹さん/みんなの診療所

「勉強は、日々限りなくありますね。自分の知識や技術が上がらなければ、島の医療技術が上がりませんから。しかし、自分の努力が島の人々に還元できるのであれば、それも楽しく感じられますよ」

肥後さんは、在宅医療、医療における子育て支援など、自身の立ち位置から見えてくるこの島の課題があると語る。屋久島で育ったからこそ、医療が島の地域再生に貢献する役割や必要性を、多方面から感じているのだろう。

(取材:Written by 散歩亭 緒方麗)

みんなの診療所

  • 鹿児島県熊毛郡屋久島町小瀬田849-18
  • 0997-43-5100

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