私という自然(じねん)に出逢える島
こんにちは。YakushimaFilmのシュンゾウです。
屋久島の里ではヒカンザクラが咲きはじめスモモの蕾ももう開かんばかりにパンパンです。エッセイを書いてる今は旧正月の2月1日。春が近づくにつれて自然の中に飛び込みたくなりますね。今回は春が全盛になる前の冬の照葉樹林の風景を映像にしてみました。
そして今日は大好きな自然を深掘りしてみます。
私たちが普段何気なく口にしている「自然」という言葉は19世紀末に輸入されたNatureの訳語として採用されたそうです。その前までは日本では自然のことを「じねん」と言い、先祖は「自ずから然(しか)らしむ」という意味や「あるがままの状態」という意味を込めていたそうです。
西洋では人間と対抗するかのような存在として野生動物や植物、微生物、ウイルス、原生林をNatureと位置づけ人と「じねん」を区別しますが
かつて日本では
人間もNatureだった
君たち人間も実は
その敵対したり不安がる自然の一部なんだよ
屋久島の森を歩いているといつもジャパニーズスタイルの「じねん」の感覚が不思議と自然に還ってきます。
人間を含む森羅万象、天地万物のすべてである「じねん」と、私という「しぜん」が出逢い、とけあう時、あるがままの私の心が思いも寄らない声をあげはじめることがあります。
その声は地球(じねん)の声
その声のままに
自然と友に生きる道を歩きだそう
心の声に寄り添ってあげられるのは
誰でもないこの私しかいないのだから
地球は私
私は地球