新緑の縁(えん)の下には
こんにちは!YakushimaFilmのシュンゾウです。
千尋滝駐車場の桜が満開となり、屋久島の里はいよいよ春が始まった感じです。三寒四温。雨が降るたびに、暖かくなってきています。それにともなってカエルが鳴きだし、草木の芽が伸び始め、鳥の鳴き声が多彩になり、生命溢れる空気感で屋久島はむんむんです。
これから、屋久島の里の森が1年で最も華やかになる季節がやってきます。
色とりどりの新芽が吹く照葉樹林の新緑風景といったら…。
この躍動感あふれる春の原動力はいったいどこからやってくるのでしょうか。
それは、圧倒されてしまうほどの大量の死です。
都会とは裏腹に、自然界では生より死の方が日常です。
ウミガメが卵から大人になるまでの生存確率は5000分の1と言われていますし、1000年以上生きた屋久杉の生存確率はもっと低いでしょう。あまり死なない人でさえも、受精卵の段階では、約3億匹の精子が生き残れるのは1匹だけです。この星の生態系は多くの死の上で生が成り立っているようです。
川で死に絶えたこのオスの鹿にはもうすでにハエが発生していました。
おそらく死体に卵を産みつけているのだと思います。
やがてウジが大量に発生し、他の動物もやってきて、
おおかた食べ尽くされてしまうことでしょう。
毎日おびただしい死が存在しているはずなのに、森では生きものの死体にはあまり出会いません。森はいつも清々しく美しい世界が広がっています。それは、死があっという間に他の生命の糧になってしまうからです。
死体だけでなく動物たちの排泄物もあっという間に消え去ってしまいます。
写真は蛇之口滝周辺で出会ったセンチコガネです。森の掃除屋さんなんて呼ばれたりしてます。彼女は動物の死骸を食べたり、動物の糞を子どもの餌として地中に運んで、そこに卵を産みつけたりしています。孵化した幼虫は糞を平らげながらも、新たに細かな糞をします。その糞はもっと小さな土中の微生物によってさらに分解されて、やがては草木の栄養になっていきます。そして、その草木を食べて動物は生きています。
人が避けたがる死や排泄物が、多くの生きものたちの生きる基になっているんです。
目を背けたくなるものにも
きっと大切な意味がある
都会では大量の排泄物や生活排水は集約されて人の目にはつかない所で人工的に処理されていますが、完全には浄化しきれず川や海を汚染しています。一方、森では巧みな生きものたちの営みによって浄化されるだけではなく、豊かな森を育む栄養源へと変換されていきます。この星はこのパーフェクトな循環システムなくしては美しさを保つことはできません。
自然界の華やかさを支えているのは
意外と残酷さであったり汚さであったりします
しかしその目を背けたくなるようなネガティブな事象は
ときに次の命の希望であったりします
自然界は 塞翁が馬の連続
森はいつも無言で
この星の摂理を教えてくれます
そんな考えも所詮は人間目線の利己的な思考回路。その思考パターンを停止させて森の民に思いを寄せていると、こんな思いがやってきました。
たとえ、人類がこの星から消え去ったとしても、植物は太陽の光が降り注ぐ限り、光合成で自ら栄養をつくり生きていくことでしょう。落葉させた自らの葉がやがて土となり、それを再び取り入れながら生きていくことでしょう。
僕は里では毎日森の民を焼いて、料理をつくりお風呂を沸かして暮らしています。植物がなければ僕は到底生きていくことはできませんが、人間がいなくても植物はなんら問題なく生きていくことができてしまうでしょう。
そんな彼らは世界中で切られ抜かれ続けています。世界でトップクラスに森林伐採が行われているインドネシアでは毎年約 70 万 hの森が消滅しているそうです。屋久島(54,100 ha)規模の森がたった1年間でおよそ12個分もぶっ飛んでしまっているんです、インドネシアだけで。。。他の国も含めたらどのくらいになるのか調べてみたところ、地球全体では毎年520万ヘクタールが減少しているそうです(2000年から2010年までの平均)。
屋久島の96個分っ!
ひょえ〜〜〜!!!
日本は中国、アメリカに次いで世界3位の紙の生産国で、世界各地から製紙原料を輸入していますが、その最大の輸入国がインドネシアのようです。
僕たち日本人がコピー用紙やトイレットペーパーをガツガツと不感症的に使ってしまう行動は、インドネシアの森の消滅と深く関わっています。屋久島の美しい森の写真を、インドネシアの森林伐採によって生産された紙に印刷して、森は本当に素晴らしいと楽しんでいる僕は、何とも滑稽で矛盾多き生きものです。
この目を背けたくなる現実にも
はたして何かポジティブな意味があるのでしょうか。
人間は誠に闇が深い生きものです。
現代人は、植物の恩恵を一方的に、過剰に搾取しながら生きてしまっています。しかし、植物たちは正義という武器で怒りの戦争を仕掛けてはきません。それどころか、屋久島の森たちは毎年あっぱれな芽吹き劇を披露して、僕の心を無償で温かくしてくれています。本当にこの自然豊かな島で暮らせることは有り難く、感謝してもしきれません。
インドネシアの森の恵みで暮らしてきた民は今日、もうこのような新緑を二度とみれないと嘆いているかもしれません。
争い好きの人類一人ひとりは、いよいよ森の生態系に学ぶ時がきています。新緑の縁(えん)の下には、争いが起きてしまいがちな現代の経済システムを変革し、サステナブルな調和の世界をクリエイトしていく叡智が内包されているような気がしています。
ん〜、今回はかなり真面目な内容になってしまったなあ。っていうことで、最後は華やかな千尋滝の桜のドローン撮影でお楽しみくださいっ!
引用&参考資料
https://www.wwf.or.jp/activities/data/20190911symposium-paper.pdf
https://www.env.go.jp/nature/shinrin/index_1_2.html