神﨑真貴雄さん/登山ガイド
世界の山々を渡り歩き、屋久島で登山ガイドへ。
「屋久島は、さりげなくいいものが散りばめられている場所です」
神﨑真貴雄さんは、登山ガイドになるため26歳の時に屋久島へ移住した。初来島したのはその2年前。島で「登山ガイドにならないか?」と誘われたことがきっかけとなり、その後バックパッカーとしてヒマラヤ山脈やカラコルム山脈、そしてアルプス山脈など、アジアやヨーロッパの山々を渡り歩いた。島に移住した後も、アメリカのマッキンリー山などを踏破したという。
旅の途中、インドでは現地の登山学校に入り、ベーシックコース(初級〜中級)とアドバンスコース(中級〜上級)を受講し、登山の基礎知識から実技までを学んだ。ここではなんと6000m級のヒマラヤ山脈が学びの場だったという。
「僕の旅は、バックパッカーから始まり、これまで世界のいろいろな山にチャレンジしました。でもそれはただ綺麗な景色が見たいとの思いだけなんです」
ついに自分の死体に出会ってしまった!?
帰国後、屋久島に移住後は、登山ガイドとして島内のガイド会社「ネイティブビジョン」に所属。それまでの旅人としての生活とはうってかわり、ひとつの場所に拠点を置き、島に根を下ろした定住生活を送っている。神﨑さんは旅のあいだ、「帰国したら、自分の車を持って、犬を飼いたい」と願っていたというが、現在は島で知り合った奥様との間に3人のお子さんを授かり、マイホームパパとしての顔を覗かせながら家族5人で暮らしている。
「僕はいま、あのとき願ってた以上のものを手にすることができて、人生の1番いいときを過ごしているなぁと感じます。長い間、海外で移動し続ける生活を送っていると、変わることに飽きてしまうんです。実は、フランスのモンブランのバリエーションルートに1人で登ったとき、氷の間に挟まれた死体を見つけてしまったことがあります。下山し急いで救助要請をしたら、”お前みたいに誰にも言わずに1人で登って1人で死んで行ったんだろう”、と山岳救助隊の隊長に叱られたんです。そのとき僕は、ついに死んだ自分に対面したような気持ちになりました。当時は孤独もあったと思います。このことは、帰国を考えるひとつのきっかけになりましたね」
もともと、自然や生き物が大好きで、幼い頃は”ムツゴロウさん”になりたかったというほど、野生児だったという。そんな神﨑さんは、2015年に著書「屋久島自然図鑑」(メイツ出版)を出版した。屋久島で見られる動植物の588種が掲載されており、コースの所用時間なども記載してある。そのため、ガイドブックと図鑑が1冊になった、ガイドならではの目線で作られている。
「屋久島に住んでガイドという仕事をしていると、だんだんここの自然や生活が当たり前に感じてしまいます。でも、新しい生物や、文化や歴史などが発見され、この島にはまだ未知の部分が残されていることを知ると、全て知り尽くされていないのが屋久島の面白いとこだなぁと感じますね」
他、屋久島環境文化村財団の「屋久島の自然図鑑本」など、自分の足で自然の中を歩き、様々な生物を見つけてはひとつずつ調べて本にしたという。野生児としての神﨑さんの眼差しで描かれた屋久島が詰まっている。
(取材:Written by 散歩亭 緒方麗)
有限会社馬場製菓 屋久島観光センター内 ネイティブビジョン
- 鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦799
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