山尾春美さん/エッセイスト

詩人、山尾三省を看取って21年。続く暮らしを支えたものとは

  最上川逆白波のたつまでに ふぶくゆうべとなりにけるかも

思い出すのは、風呂場のガラス窓に父が書いた斎藤茂吉の歌。
最上川の流れる山形県内陸部の街で生まれ育った春美さんは、神奈川県での10年に及ぶ特別支援学校教員生活を経て、1989年、結婚を機に屋久島に移り住んだ。
結婚した相手は、森の中で自然に沿った暮らしをおくる詩人の山尾三省さん。島暮らしは初体験の連続。薪風呂の焚き方を覚えるところから新婚生活は始まった。

三省さんの詩やエッセイには、家族との暮らしがしばしば登場する。洗濯物を干す、たたむ、ご飯を食べる、お茶を飲む。誰しも経験する何気ない暮らしの中に、宝が隠れていることを教えてくれる。

3人の子供に恵まれ、子育てに夢中で取り組む中、三省さんに癌の診断が下された。宣告を受けてからの濃密な暮らしは、『南の光のなかで』『森羅万象の中へ』(ともに野草社)など、三省さんのエッセイ集や詩に記録されている。なにげないできごとや会話の中に、輝く石を拾い集めるようなそんな日々が綴られる。三省さんがこの世を離れたのは、結婚12年目の夏のことであった。
「何かやろう」そう思い立ったのは、子どもたちも手が離れてきた2008年。これまで、請われて、三省さんの詩に短い文章を添えることはあったが、それはあくまでも山尾三省ありきの表現。
「自らの表現」は何か。「詩以外の何かを」と思いついたのが、「短歌」だった。
「南日本新聞」の「南日歌壇」に応募してみたところ、初回で採用。それからは、毎月、作歌を続け、2013年からは短歌会「塔」に入会、毎月10首以上を作る。「南日歌壇」に送っていた頃と合わせて、これまでに1200を超える歌を詠んできた。五感を研ぎ澄ませ、「歌の種」を拾い集める日々。歌に伴走されながら、1日1日を慈しんできた。

三省さんの命日になる8月28日は毎年「三省忌」と称し、読者やゆかりの人々と故人を偲ぶ。今年は没後21年。「めぐる季節、自然の美しさ、怖ろしさ、喜びが、三省さんがいうところのカミとなって私を支えてくれた」と振り返る。「三省忌」会場となる白川山の「やまびこ館」には、今年もアマクサギの花が強く香っている。

  畑には邪魔だが座るにちやうどよい岩あり風に吹かれるふふうと 山尾春美

関連記事一覧