清田雄三さん/八重岳食堂

90年以上続く屋久島の食堂「八重岳食堂」

「100年続けられるよう頑張らんと!」

そう語る清田雄三さんは、安房川に架かる赤い橋のすぐ手前に、90年以上も暖簾をかかげる八重岳食堂の3代目だ。毎日厨房に立ちラーメンやうどんの出汁を取る清田さんの隣で忙しなく動き回っているのは、奥様の”春美さん’。神奈川県から23年前に嫁ぎ、現在は夫婦で八重岳食堂を切り盛りしている。

清田雄三さん/八重岳食堂/右:清田雄三さん 左:春美さん

清田雄三さん/八重岳食堂/右:清田雄三さん 左:春美さん

かつて安房川は定期船が停泊し、荷物を抱えながら”はしけ”を使って降りてくる人たちと、それを迎える人たちで賑わっていた。昼になると、大漁旗をはためかせ帰港するふんどし姿のトビウオ漁師たちの威勢のいい声が飛び交う。

そして、現在はもう閉鎖されてしまった屋久杉搬出の中継基地”小杉谷集落”の人たちが山からトロッコで到着すると、一斉に安房の町へと繰り出してきたという。
その当時、安房川に架かるのは白い大きな吊り橋だった。

老朽化が進み、昭和50年代になり取り壊され、現在の様式になったのだが、それまでは賑やかな港町の大きなシンボルだった。

清田雄三さん/八重岳食堂

そんな長い歴史を静かに見守っていたのが八重岳食堂だ。

清田雄三さん/八重岳食堂

古き良き時代の安房の町に寄り添いながら

店の奥の襖から先代である清田さんのお母さま”ミル子さん”が顔を出した。

清田雄三さん/八重岳食堂:清田ミル子さん

清田雄三さん/八重岳食堂:清田ミル子さん

「うちは昔、下宿屋も食堂もやってたの。だからいろんな人が来てたよ。ダムを作る作業員や単身赴任の公務員の人たちのために、昼も夜も毎日ご飯を出して、仕事で島に来てる人たちには弁当も作ってあげたりした。そしたらちょうど生ビールが流行りだして、夜の晩酌のお客さんも増えたの。とにかく昔はよう働いたねぇ。店をやりながらトビウオ漁師だったうちの旦那さんの船に乗って3日連続で一緒に漁に出たこともあったよ」

目を細めて懐かしむミル子さんの話から、古き良き時代の屋久島安房の光景が目に浮かぶ。

旧屋久町の郷土史によると、八重岳食堂は、昭和8年には存在していたとの記述がある。創始者の”コマツばあちゃん”から、代々女性が切り盛りしていたというが、その話になると、清田雄三さんが間髪口を開いた。

「いま自分が八重岳をやっていけてるのは、ほんとにうちの奥さんのおかげ。おらんかったらできなかったかもしれないね」

清田雄三さん/八重岳食堂

安房川は、今も昔も安房のシンボルとして、山から降りてきた清らかな水が、悠々と海へと流れる。ミル子さん直伝のうどんやラーメン、そして安房の名物トビウオ料理は、今は清田さん夫妻の手で作られる。約100年の時代の流れに寄り添いながら、八重岳食堂の暖簾は今日も安房の町角で揺れている。

(取材:Written by 散歩亭 緒方麗)

八重岳食堂

  • 鹿児島県熊毛郡屋久島町安房66
  • 0997−46−2658

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