緒方麗さん/散歩亭・シンガー・ライター
屋久島中の若者の憧れだったバー「散歩亭」。
安房川の河畔にジャズとコーヒーとスコッチを提供するこの店がオープンしたのは、1975年。創業50年に手が届かんとするこの店を、20代で亡き父から引き継ぎ、ゆるやかに形を変えながら、家族で切り盛りしてきた。
そんな緒方麗(うらら)さんのもう一つの顔は、「歌い手」である。
父の愛するジャズに囲まれて育った緒方さんだが、自ら「歌い手」になるとは、夢にも思わなかった。
新卒で勤めた音楽関係の事務所仲間で結成したバンド。たまたま楽器を演奏できなかったため、ヴォーカルに抜擢された。そんな消極的な理由にも関わらず、デモテープを耳にした事務所から、ヴォーカリストとしてスカウトされたのだ。
誘われるままにレッスンに通うも、周囲との熱量の違いに悩み、島でクールダウンすることに。一時的なつもりでの帰島だったが、父の病気、夫との出会い、さまざまな要因が緒方さんをこの島に引き留めた。
スカウトされたことを耳にした島民から誘われてバンドに参加したり、ときおり、歌は続けていたが、2015年、運命の出会いが訪れる。
鹿児島県で開催された国民文化祭、「屋久島町民俗資料館」の黒飛淳さんの依頼で島の古謡「まつばんだ」を歌うことになったのだ。低いキーから高いキーへと一気に駆け上るこの歌の難しさに四苦八苦しながら、なんとか初舞台を終えると、すぐに次の舞台の声がかかった。
島民と研究者が学び合う団体「屋久島学ソサエティ」が主催する、「古謡『まつばんだ』の源流を探って」というシンポジウムでも歌うことになったのだ。
本番前日、リハーサルを見ていた沖縄伝承音楽研究者の杉本信夫さんから声をかけられた。
「あなたのは民謡じゃない、ただ音符をなぞってるだけ。民謡というのは、口から口へと伝わっていくものだから、変化していってあたりまえなの。それが良いんだよ。あなたの『まつばんだ』を歌いなさい」。
どこか自信が持てなかった緒方さんの心に、杉本さんの言葉がまっすぐに突き刺さり、ひと晩悩み抜いた。
まつばんだに正式な楽譜はなく、2種の歌唱が伝えられている。本番当日、リハーサルとは別のアレンジを独唱させてもらえるよう、主催者に掛け合い、緊張でガチガチになりながら舞台を終えた。杉本さんは大喜びで「ぜひ歌い継いで」との言葉をかけてきた。
サー屋久のお嶽をおろかにゃ思うなよ
金のな 蔵よりゃ なお宝な
「まつばんだ」はしんどい。なんど「これで最後にしよう」と思っても、次の依頼がやってくる。それならば、せめて「それに見合う自分に近づきたい」と呼吸法を身につけるためにヨガを始め、筋力アップのトレーニングも行う。
なぜここまでして「まつばんだ」を歌うのか。
緒方さんは、この「かたりびと」コーナー以外に、「屋久島環境文化財団」が会員向けに年3回発行する「屋久島通信」に2015年から、インタビュー記事「私が屋久島に住む理由」を連載している。これまで22人にインタビューをしてきた。
「屋久島環境文化」とは、国際的にも学術的評価の高い屋久島の自然環境を損なうことなく、何千年にもわたって積み重ねられてきた屋久島特有の生活文化を指す造語である。
「屋久島環境文化財団」は、学習や研究によって、その価値を見直すことを通して、屋久島の自然環境の保全を図るとともに、自然と人が共鳴する個性的な地域づくりを試みるという理念を掲げる。
インタビューを通じて、多くの先人から直接受け取った言葉とともに、財団の理念に背中を押され、自らも「次世代に何かを渡したい」という思いが年々高まる。昨年は、地元「安房小学校」に「まつばんだ」の歌唱指導に赴いた。
2023年は、屋久島が世界自然遺産に登録されて30年の節目の年。
島民で結成された任意団体「屋久島世界自然遺産登録30周年住民プロジェクト」の代表に就任。「次世代に何かを渡す」という緒方さんと仲間たちの取り組みは、始まったばかり。プロジェクトの内容はこれから詰めていく。忙しい1年を引き受ける準備は整っている。
散歩亭
http://st-pote.sakura.ne.jp/
営業時間17:30~0:00、第1・3日休
屋久島町安房2364-17
0997-46-2905
緒方麗さんの執筆した「やくしまじかん」記事はこちら