塚田博 さん/塚田不動産・行政書士事務所

南三陸町で3年、行政マンとして復興に携わった経験を地域に生かす

年明けに起きた能登半島地震の復興はまだまだ始まったばかり。
今こうしているときも、多くの方が、尽力されていることと思います。
そうした方々に思いを添えつつ、将来、起こりうる危機に思いを致すべく、屋久島在住の防災士塚田博さんにお話を伺いました。


島で不動産と行政書士の事務所を営む塚田さんは、世田谷区の職員として、新潟県中越沖地震、東日本大震災の現場に派遣され、復興支援に携わってきた。
南三陸町では、3年もの長きに渡り現地に住み込み、2級建築士をはじめとした数々の資格を活かしながら現地の人々と共に働いた。

初めて派遣された災害地は、2007年の新潟県中越沖地震。地震発生から4日後に東京都の派遣員として東京駅を出発、余震による倒壊に気をつけながら、被災した住宅の危険度を速やかに調査仕分けするのが、主な仕事だった。

2011年の東日本大震災では、震災の2か月後に宮城県気仙沼市へ10日間。翌年2012年の1月からは3年間、宮城県南三陸町に派遣された。
南三陸町では、地震と津波から逃れた小学校を仮設の住宅にして、町役場の消灯時間21時まで、毎日忙しく働く日々。建築系の技術職としてだけでなく、地域のニーズを吸い上げ、ボランティアや寄付の申し入れのコーディネイトなど、その仕事は多岐に渡ったという。

塚田さんを含め、派遣された職員の声は、その後、世田谷区の災害対策に生かされ、区職員の人材育成にも役立てられた。

区役所を退職後、年老いた母の介護のため、屋久島に移住。
ご両親は、世界自然遺産登録前に屋久島にIターン。お母様は、夫を亡くした今も、島のマンゴー栽培のパイオニアとして「塚田マンゴー園」を営む現役農家だ。
マンゴー栽培の手伝いだけでは手持ち無沙汰なので、2020年に不動産・行政書士事務所を開業。島民とのつながりも増え、忙しい日々を送っている。
「電車通勤の時間が長かったので、ほとんどの資格は、区役所に就職してから取得しました」と軽やかに話す塚田さん、つい最近も、屋久島在住の外国人のために、在留資格(ビザ)更新申請代行の資格を取得した。

塚田さんの当面の目標は、地震や津波で孤立する可能性の高い屋久島の各集落の防災計画を地域の人々と立てること。建物の危険度を判定する「応急危険度判定士」を島内に増やす働きかけなどを行なっている。
住民の避難だけでなく、災害後の速やかな復興を目指し、「インフラが回復する前に被害状況を把握し、国や県、民間企業や団体に支援を募り、いかにして分配していくのか、細やかなシミュレーションが大切だ」と話してくれた。


■塚田不動産・行政書士事務所

屋久島町安房2379-92
TEL. 0997-47-1855
営業時間8:30~17:15

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