藤村勇さん/杜氏「三岳酒造」
名水あるところに名酒あり。人の手をかけ心を込めて造る、屋久島を代表する芋焼酎。
屋久島は、集落のすぐ近くまで迫る高い山々と遠くに広がる海で挟む、外周一本の県道が通る。空港から車を南に走らせ平野集落に入ると、山手側に「三岳酒造株式会社」の看板が見えてきた。
屋久島を代表する芋焼酎「三岳」は、この場所で造られている。雨の多い屋久島ならではの豊かな地下水を汲み上げ、島の軟水を使用することで、柔らかくまろやかな味わいが全国的に人気の焼酎だ。そんな60年続く焼酎造りを支えているのは、現在、季節従業員含め50名ほどの社員達。
「島を代表する焼酎造りにたずさわれるのは、僕の誇りです」
そう語る藤村勇さんは、三岳酒造製造部に勤務し、現在は杜氏として責任ある立場を任されている。藤村さんは、島の北部宮之浦集落の出身。中学校まで屋久島で育ち、その後、鹿児島で進学と就職を経て帰島。三岳酒造に入社してから今年で10年目になる。
三岳は、みんなの情熱に支えられている。
杜氏である藤村さんだが、焼酎の味は製造部を中心にみんなの意見を取り入れているという。焼酎造りは、麹菌を使うため、体調や食事、そして天気や環境によっても変化するデリケートなもの。「美味い」という一言が出るまでは、何度も何度も調整を重ねていく。
”三岳”は、数年前に焼酎ブームの波を受け、全国的に品薄状態が続き、島内ですら入手困難になった時期があった。しかしそのとき、「いまの三岳があるのは、島の人たちが愛してくれたからこそ。島で三岳が手に入らないという状況があってはならない」と、島の人々に三岳が行き渡るよう、新たに工場を増設した。
「焼酎造りに、明確な法則や答えがあるわけではありません。だから僕たちは、どうやったら沢山の人に飲んでもらえるか、日々試行錯誤しているんです」
そんな焼酎造りの情熱に対し、藤村さんが一番影響を受けたのが、社長の馬場善朗氏の存在だと語る。
「”いい麹ができれば、いい焼酎ができる。”というのが社長のこだわりです。うちは、自動化された機械を使用していますが、そんなことをつい忘れてしまうぐらいに実は”人の手"をかけているんです。社長は、暇さえあれば工場に来て、小さな変化も見逃さぬよう、『もっと麹やもろみを見ろ』、『できた焼酎の味を確かめろ』、と味の追求を怠りません。もう釜に穴が空くんじゃないかってぐらいですよ。ときにはぶつかることもあります。でもそんな社長の情熱に突き動かされて、僕らもいい焼酎を造ろうという気持ちになるんです」
製造時は、ほぼ24時間体制で麹やもろみの状況を確認し、できる限りの人の手をかけている。
食事や会話の邪魔をしない、
飽きることなくみんなに愛され続けるような焼酎でありたい
『焼酎というのは一般大衆の飲みもの。だから安くて美味しい焼酎を作らんといかん』
これは、故佐々木睦雄会長が遺した言葉だという。例えば、小さな蔵で機械を使わず、人の手だけで仕込んだ、少量限定のこだわりの高級焼酎なども出回るなか、三岳はどのような酒として消費者の手に渡るのか?
「食事や会話の邪魔をしない、飽きることなくみんなに愛され続けるような焼酎でありたい」
藤村さんはそう語る。
「実は僕、昔はバーボンが好きで、焼酎なんて飲んだことなかったんですよ」そう言って笑う藤村さんに、初めて”三岳”を飲んだときの感想を聞いてみた。
「いやぁ、美味かった。どうしてこんなに美味しいんだろうかとびっくりしましたよ」
故郷屋久島へ帰り、初めて島の酒を飲んだあのときの味が忘れられないという。焼酎は、清らかな水が創る芸術品。しかし、三岳の美味しさの理由はそれだけじゃないと、工場に立つ藤村さんの後ろ姿が教えてくれた。
(取材: Written by 散歩亭 緒方麗)